瀬川瑛子 40 … 昭和最後の演歌ミリオンセラー【命くれない】


Review

1986年3月に発売された、実に40枚目となるシングル。
発売から1年以上が経った翌1987年7月から急速に人気に火が付き、翌々1988年2月にかけてまで大ヒットした。

「長崎の夜はむらさき」のスマッシュヒット以降、売れない日々を悶々と過ごす中、ヒットの兆候が芽生えはじめたのが翌1987年あたりから。有線放送から火が付き、飲み屋のママたちがこぞってカラオケで歌うようになり、その歌声を聞いた客であるおっさん共にも曲が浸透し、ついに1987年7月16日、「命くれない」はザ・ベストテンに20位で初ランクインすることになる。そして翌7月17日に石原裕次郎が死去し、折からの裕次郎フィーバーと美空ひばり復帰という演歌・歌謡曲界の復権の追い風に乗って、瑛子ちゃんの「命くれない」もザ・ベストテンで最高11位まで登り詰め、この年の年末は各種音楽祭の賞を受賞し、念願の紅白出場までこぎつけることになる。そして年が明けた翌1988年1月14日、「命くれない」、ついにザ・ベストテンウィークリーチャートで8位に初登場。

という、1987年7月から1988年2月にかけて繰り広げられた「瑛子ちゃん劇場」は、小学生である俺達までも巻き込んだセンセーショナルなブームを巻き起こした。

楽曲はどこをどう切っても、こってこての「夫婦演歌」。歌詞の内容を地で行くサクセスストーリーも相まって老若男女全ての世代の人達からの支持を集めた、誰もが口ずさむことができる最後の流行歌となった。

最後に。
命くれないの「くれない」は、頂戴の意味なのか、それとも紅という色のことなのか、はたまた両方にかけているのか、もし知っている人がいるなら教えてくださいプリーズ。


Chart

レコードセールスは最高2位で集計上のセールスは約70万枚だが、実売では余裕でミリオンは超えているはずなので、「昭和最後のミリオンセラー」という呼称は、あながち間違いではない。

ちなみにこの曲は、1987年の年間売上のトップの曲になるが、最も低い年間売上(42万枚)と最も低い最高順位(6位)という不名誉な称号を与えられているが、これは当然1987年のみを対象にした集計で、翌1988年初頭にかけて最高位は2位まで上昇し、売上も30万枚近く伸ばしていることを記しておく。比較対象を一例に挙げるなら、当時大ブームを巻き起こした光GENJIの「ガラスの十代」とほぼ互角の売上と言えば、当時の人気の凄さが改めて伝わると思う。

ベストテンは1988年初頭にかけて通算4週のランクインのみだが、1987年7月から12月にかけて、実に半年近く20位から11位にランクインされるという、当時としては異例のロングヒットを記録。下位ながらも地道に得点を積み重ねた結果、1987年年間ベストテン第2位にランクインされる大快挙を成し遂げた。

同じように比較対象を挙げるならば、同時期の明菜様を例に出すと「BLONDE」が首位を獲得し「難破船」を経て「AL-MAUJ」が首位を獲得するまでヒットしたことになる。ただでさえ超ロングヒットと呼ばれた「難破船」なのに、さらに前後の作品にまで被さるなんて … いかに「命くれない」が息の長い大ヒットだったということが分かる。



Memories

当時小学生であった俺達にまでその存在を知らしめた「命くれない」。その結果クラスの中で「瑛子ちゃんをザ・ベストテンにランクインさせよう」なる応援会まで発足させることになり(いやネタじゃないマジで)、実際に地味に何枚をリクエストはがきを、なけなしの小遣いをはたいてせっせとしたためていた記憶がある。

そして念願のザ・ベストテン初ランクインの翌朝。興奮冷めやらぬ俺達は、音楽室からかっぱらってきたごついラジカセで、昨晩録音したベストテンでの瑛子ちゃん出演部分のみを延々と教室中大音量で流し、祝いの暴れ … いやダンスとして、そこら辺にあるものを投げながら盛大に暴れ … いや、瑛子ちゃんの快挙を祝った。そして担任と学年主任から熱いげんこつをもらった(苦笑)。

どの歌唱を見てもいつも目に熱いものが込み上げてきたが、個人的なベストアクトは「夜ヒット」にて確か瑛子ちゃんパパ(元歌手瀬川伸)と一緒に出演した回。老いて歌うことはなけれど、椅子に座りながら口ずさむ瑛子ちゃんパパの肩の上に、瑛子ちゃんの巨大な手を置きつつ、涙を堪えながらも立派に歌いきるその姿に、あ、もう思い出すだけで涙腺のダムがやばい …

最後に。
この頃の瑛子ちゃんはいかにも「飲み屋のママ」っぽい落ち着いた出で立ち。後の奇抜独特な派手さを纏うのはもう少し後の話。


命くれない/瀬川瑛子
B面:忘れ傘
発売日:1986年3月21日
発売元:日本クラウン

<O社>
・最高位:1位
・売上:約692,000枚

<ザ・ベストテン>
・最高位:8位
・ベストテン登場:4週
・ベスト20登場:29週
・最高獲得得点:6,770点

<ザ・ベストテン推移(折れ線グラフ)>
・1987.07.16 20位 3,542点
・1987.07.23 16位 4,408点
・1987.07.30 14位 5,405点
・1987.08.06 16位 4,772点
・1987.08.13 17位 4,540点
・1987.08.20 15位 5,072点
・1987.08.27 15位 4,872点
・1987.09.03 11位 5,205点
・1987.09.10 13位 5,471点
・1987.09.17 11位 6,005点
・1987.09.24 14位 5,603点
・1987.10.01 13位 5,138点
(2週圏外)
・1987.10.22 19位 3,270点
・1987.10.29 16位 4,171点
・1987.11.05 16位 4,272点
・1987.11.12 19位 4,039点
・1987.11.19 20位 3,706点
・1987.11.26 19位 3,706点
・1987.12.03 19位 3,441点
・1987.12.10 19位 3,608点
・1987.12.17 17位 3,775点
・1987.12.24 15位 4,741点
・1988.01.07 13位 5,305点
・1988.01.14 08位 6.670点
・1988.01.21 08位 6,770点
・1988.01.28 08位 6,770点
・1988.02.04 09位 6,601点
・1988.02.11 11位 5,600点
・1988.02.18 17位 3,968点

※関連動画はこちらから。




Score

※Internet Explorerで閲覧すると埋め込み式のpdfが表示されないようなので、ブラウザをGoogle Chromeに変更するか、こちらからpdfを直接ダウンロードしてください。


40_inochi_kurenai_score

※スコアを直接ダウンロードする場合はこちらから。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)