おニャン子クラブが正式に解散した日は、全国縦断ファイナルコンサートの千秋楽公演「代々木2DAYS」の最終日にあたる昭和62年9月20日だが、実質的に活動を停止したのはもう少し早く、冠番組の夕やけニャンニャンの最終回が放送された昭和62年8月31日である。また、奇しくもこの日は、会員番号38番、うしろ髪ひかれ隊のメンバーである工藤静香のソロデビューシングル「禁断のテレパシー」がドロップされた日でもある。
2000年以降に爆発的に普及したネット環境によって、広く知られることとなった「元セブンティーンクラブ」というキャリアだが、そのセブンティーンが不発に終わり、アイドルとして新たな活路を見出したのが「おニャン子加入」ということになる。ちなみに工藤静香がおニャン子に加入した時期は、本体4作目のシングル「おっとCHIKAN!」がチャートの上位を賑わせていた頃。一時のピークは過ぎたが、まだまだおニャン子にパワーがあった時代だ。
「かたつむりサンバ」のフロント抜擢が、工藤静香の人気を急激に加速させた
工藤静香という「個」が注目されるきっかけになったのが、本体8作目のシングル「かたつむりサンバ」のBメロ「ねエ、あなた、どこにどこにいるの」という自身のソロパートである。「プロデューサーから『腹から声出してみろ』って言われて、やってみたら出来ちゃった」とは、後にこの頃を述懐する工藤静香の発言だ。「えっ?工藤静香ってこんなに歌上手かったっけ?」、俺だけでなく、当時のほとんどのファンが思った変貌は、少し前、同じように歌唱が劇的に変わった水谷麻里の「春が来た」と同様に、口先でボソっと囁くようなか細い声が、一転して腹式全開の良く通る太い声質に変わり、おまけにビブラートまでしっかり効かせてやがる。そして、気が付けば、あれほど気にも留めなかった工藤静香の存在が、今では工藤静香にしか目が行かない俺が居た。こうなると不思議なもので、ルックスも今までより何倍、いや何十倍も可愛く見えてしまうというもの。
「かたつむりサンバ」自体のセールスは、決して芳しいものとは言えなかったが、工藤静香にとっては確かな手応えを感じたフロントボーカルの経験を経て、追い風に乗った工藤静香の人気は、目にも止まらぬ早さであっという間に拡大していき、最終的には遂にソロデビューという大輪の花を咲かせることになる。
新田恵利以来、実に2年半ぶりにおニャン子関連で「ザ・ベストテン」の2位にランクインという大快挙を達成
前年までは当たり前だった「O社初登場首位」が滅多に取ることができなくなったこの時期、見事「禁断のテレパシー」は初登場首位を成し遂げ、おニャン子の底力を見せつけた。ちなみに「禁断のテレパシー」の売上は、うしろ髪の中で最も売れたデビュー曲である「時の河を超えて」の売上をも超えている。
そしてもっと凄いのが、やはり「ザ・ベストテン初登場2位」。新田恵利の「冬のオペラグラス」以来、実に2年半ぶりにおニャン子が2位にランクインするという大金星。最も、獲得点数が7,800点代という低得点の運の良さもあるが、それでも2位は2位。新田恵利以外の先輩おニャン子達が、全盛期にも関わらず到達することができなかった位置までをもあっさりと超えてしまった。
楽曲レビュー
1.禁断のテレパシー
ビートの効いたスリリングでマイナーな楽曲は、他のおニャン子のシングルにはあまり見ることのなかったタイプ。敢えて似たような曲を挙げるなら、福永恵規の「ハートのIgnition」や国生さゆりの「星屑の狙撃手」だろうか。レコードの音源は近未来的なシンセを主体とし、何よりも工藤静香本人の歌唱が全く本気モードではないが、生歌だっと一転して、歪んだギターが強く主張するロック寄りのアレンジとなり、本人の歌唱もまだまだ粗削りではあるが、デビューシングルとは思えないほどの凄みと迫力があるし、普通に上手い。俺的には生歌よりもレコード音源の方が好み。「夜のプールバー」という単語が何ともバブリーな時代ならでは、ピリリと光って泣ける。動画一覧はこちら
2.愛が痛い夜
確か「禁断のテレパシー」とデビュー曲の候補で競ったという記憶がある。さすがA面候補だけあってずば抜けて完成度が高い。「禁断のテレパシー」と同系統の楽曲だが、こちらの方が工藤静香の伸びやかな歌唱が存分に感じることができる。そしてどういう訳か、何故か「Again」のマキシシングルの3曲目に収録されている謎。この歌もテレビで歌ってたんだな。もちろん初見

楽曲基本データ
・タイトル:禁断のテレパシー
・発売日:1987年8月31日
・作詞:秋元康
・作曲:後藤次利
・編曲:後藤次利
・O社最高位:1位 売上:145,920枚
・ベストテン最高位:2位 最高獲得点:7,826点